「時・条件を表す副詞節では未来のことでもwillを使わず現在形を使うのは知っていますが、
Whoever wins will get the prize.などの文では、どうして現在形が使われるのですか。」
という質問に、ある予備校の先生が次のように答えられていました。
「結論を言うと、現在形を使うのに副詞節とか名詞節とかの節の種類は
あまり関係ないようなんですね。」
先生の答えが正しいのかどうかはともかく、質問の方はかなり端折った尋ね方になっています。
本当は、
「時・条件を表す副詞節では未来のことでもwillを使わず現在形を使うのは知っていますが、
Whoever winsは時・条件を表す副詞節ではなく名詞節ですから、
原則通り未来のことを表すにはwillを使うべきなのに、
どうして現在形を使っているのですか。」
とでも言いたいのでしょう。上のような聞き方でも分かる人には分かるのでしょうが。
こんなことが気になりだしたのは、最近読んでいる『論理トレーニング』という本の影響です。
だいぶ前に買ったものの、最初の方だけ読んで挫折してしまっていたのですが、
最近、再び手に取って読み続けてみると、とてもためになることが書いてあります。
国語、特に評論の読解には大いに参考になるのではないでしょうか。
「日本文化は日本人にしか理解できないなんて意見は、われわれには外国文化が理解できぬ
というにひとしい愚劣な意見である。特殊を前提にしなければ普遍性はありえないのだから。」
こんな一節に出会ったとき、深く考えずにわかったつもりになって、
何となくやり過ごしがちだと思います。
これについて、著者は「たいへん難解な文章である。」と素直に述べて、
「特殊を前提にしなければ普遍性はありえない」についてあれこれ検討しています。
くれぐれも「わかったつもり」にはならないようにしたいものです。