その目的は、英米人とコミュニケーションを取れるようになるため、
ということもあったでしょうが、やはり文献を読み解くことが主でした。
当然、漢文学習の手法が用いられ、英文法を頼りに、
英文を精緻に分析して解釈していくことになりました。
この過程で、漢学の場合と同様、英語と日本語の格闘が行われ、知力が開発されていった、
ということです。
ですから、英語の学習も数学の場合と同様、実用一点張りであってはならず、
今後も漢学的な「読み書き」、すなわち訳読や英作文の教育に力を注がなくてはならない、
と言います。
そして、その正当性を諸外国の例も挙げながら展開しています。